芸術としての料理の基本原理 〜多様性と統一性〜
先週、仕事帰りにクラシックコンサートを聴く機会がありました。
生のオーケストラの“音圧”が、体の芯に響きました。遠赤外線ヒーターのように、内からじわじわと気分が高揚します。
生音を浴びながら、料理と音楽との類似性を考えていました。
興味をかき立て続ける「多様性」
演奏中「私はこの音楽のいったい何に感動しているのか?」について、自分なりにその感情を分析していました。そこで感じたことの一つは、旋律の「バリエーション」でした。
核となる主旋律を、異なるリズム、異なる音量、異なるスピード、異なる楽器、異なるアレンジ等、さまざまに奏でられることで、私の感情がその“音波”と共振して揺さぶられているのかもしれないと。
メインとなるメロディーは耳に親しみを感じさせますが、ずっと同じ調子であったら当然すぐに飽きるでしょう。旋律のリズムや拍子、和声を巧みに変えながら、メロディーに“装飾”を施すことで飽きさせず、新鮮さを絶えず感じさせることで、聴いている人に心地よさを生み出している気がしたのです。
総合芸術である料理も、同じ“構造“を持っているように感じます。
料理のなじみのある「親しみやすさ」ということと、あまり食べたことがない「目新しさ」という相反する要因が、魅力あるおいしさを感じる重要なポイントのような気がします。特に、レストランなどのハレの場の食事は、味が想像できないような“斬新さ味”の割合が高めとなるでしょう。
その目新しさを生み出すのが、料理のバリエーションであり、この料理の多様性が、おいしさを生み出す一つのトリガーになっているのではないかと思います。
美を感じさせる「統一性」
また、コンサート中、もう一つ思ったことは、全体の統一感です。
音楽の世界で使われる、ハーモニーやシンフォニーという言葉、ハーモニーは「調和」、シンフォニーは「異なる要素がまじりあって、ある効果を生み出していること」という意味ですが、全体が調和され、うまくまじり合わされた的のオーケストラの演奏は、いやがおうにも感動させられます。
料理においても、コース料理の全体を通した統一感や、ひとつひとつの皿の上での食材のバランス、一体感はとても重要です。特に香りは、合わないものどうしの組み合わせは全体のおしいさを大きく損なわせます。
何をもって統一感があると感じるかは、もちろん個人差があります。たとえば「酢豚のパイナップル問題」。酢豚に入れるパイナップルが、全体の風味のバランスを整えていると感じる人もいれば、何で果物を炒めものに入れるんだよという反対派もいます。
パイナップル単独で食べることには抵抗を示さなくても、何と合わせるかについては議論があるということは、料理全体の調和が大事というなのでしょう。
心地よさを生み出す「多様性と統一感の調和」
芸術とくにデザインの分野などでは、多様性と統一感 Unity and Varietyが、美的感覚を惹起させるのに重要だということが、盛んに言われています*1, *2, *3。
たとえば、アンディ・ウォーホルのマドンナの色違いのポスターの組み合わせたものなどは、多様性と統一感をうまく調和させたものの一つの例でしょう。
*4より。
切手なり、カードなり、キャラクターグッズなりを集めている人も、自分がたくさん収集したものの種類の多さという「多様性」、そして全体としてまとまりのある「統一感」という、二つの“合わせ技”でうっとりしているのではないでしょうか。
その「多様性の中の統一性」をより際立たせるために、コレクターたちは、ファイルに入れてきちんと整理したり、コレクションボックスできれいに飾ったりするのかもしれません。
多くの芸術作品、もしくは芸術作品群では、その中に多様性と統一性が絶妙に保たれると、人の脳の中で「心地よさ」が発生しやすいのだと思います。
料理においても、コース料理全体が一つのテーマで統一されて、かつ料理一品一品はバリエーションがあるとか、料理一品の中でも使っている食材も豊富で多様性はあるが、料理としての香りはハーモニーを奏でている場合に、感覚的に美しい味、すなわちおいしさが湧き上がるのではないかと感じます。