メルト化する世界、モザイク化する世界
IUFoST(International Union of Food Science & Technology)という食品科学技術に関する国際学会に出席するため、カナダのモントリオールに来ています。専門知識の波を浴び、普段働かない脳の部分が活性化している気がします。
専門が融合する
食品学と栄養学を専門としているため、食品系の学会と栄養系の学会には両方参加するようにしていますが、両学会がカバーする領域は、年々重なりが大きくなっているように感じられます。
大雑把にいえば、ヒトに食べられる食品をサイエンスするのが「食品学」、食品を食べたヒトを科学するのが「栄養学」ですが、例えば「人の消化・吸収を考えて食をデザインする」ような場合は、食品学と栄養学両方の領域を考えなければなりません。
特に、今参加している学会のいろいろなセッションで、私の専門である「個別化食品(Personalized Foods)」と「個別化栄養(Personalized Nutrition)」という単語をこれまで以上の頻度で耳にしています。この領域は、まさに食品とヒト両方考えなければならない分野です。
食品学と栄養学は、昔から別々の学会が存在しているように、その専門はもともとは分かれていましたが、その境が次第に“溶けあう”感覚を感じています。
専門が分断する
俯瞰的に見ると食品学と栄養学が融合していくと感じる一方で、各専門内の分野は高度に専門化され、にわかの知識では到底追いつけないレベルに達しているとも感じます。当然、自分の専門に関しての知識や技術は、磨いていかなければなりませんが、他の専門分野を勉強する必然性もあらためて感じています。
しかしながら、機器分析技術の進化や理論の高度化などは、専門の“分断化”を引き起こすのに十分なインパクトを持っています。すなわち、自分の専門だけの知識をカバーして他の分野は無視し、狭い世界に閉じこもりたいという欲求に傾きそうになります。それだけ、自分の足元の専門を掘り下げるだけで精一杯ということなのです。
融合し、分断するカナダ
モントリオールの街を歩けば、いろいろな人種の方を目にします。多民族国家のカナダならではです。外国に来ると当たり前ですが、自分がマイノリティであることを感じるいい機会です。
日本でも人気のエンターテイメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」は、モントリオールが発祥ですが、その独特の世界観は、多くの人種が混ざり合った多民族国家カナダだからこそ生まれたものであると感じます。
移民政策が昔から行われてきたカナダは、日本と比べれば、はるかにいろいろな国の文化や人種の融合が進んでいます。しかしその一方で、街の中に中国人街やイタリア人街があるように、人種ごとに自国の文化や習慣で固まって、その塊が街中にモザイク状に存在する現状もあります。
つまり、人がすべて「融合」していくわけではなく、深い「断絶」とともに“併存”しているといえます。
これは、今回の学会で感じた専門の状況と全く同じではないかと思いました。世界は融合する(メルト)するものがある一方で、混ざらず特異的にモザイク化する部分が必ず残るということです。
化学的にいえば、国や人がほかの世界と混合されて均一な相に「溶解」する部分もあれば、相互に相混じらず一緒に存在するだけの「分散」の部分もあるということでしょう。
溶ける日本、混ざらない日本
ホテルから学会会場に向かう際、モントリオールの街中で「プライド・パレード」が開かれていました。プライド・パレードとは、同性愛の弾圧に対する権利向上を発端としたパレードで、私も以前トロントで見たことがありました。

カナダは同性婚が法律的に認められている国ですが、まだまだゲイの人に対して差別的な扱いをする人もたくさん見聞きして来ました。いろいろな人種の人が住み合う国では当然、価値観も融合(許容)されていきますが、相容れない(断絶した)価値観ももちろん乱立しています。
グローバル化によって、日本はこれからどうなるのかということを考えさせられました。
文化、習慣、価値観などは、世界と融合化することを余儀なくされ、「世界の平均」へと引っ張られるでしょう。しかし、その中で“日本らしさ”は消え去ることはなく、世界の中のモザイクのひとつとして存在し、少なくても数世代先までは維持されるように感じます。
日本の何が溶け、何が溶けずに残るのでしょうか。少なくとも寿司、アニメは、sushi、amineとして世界の中で均質化・日常化が進み、日本発祥ではあれど日本独自のものではなくなっています。