「孤独のグルメ」と「もぐもぐタイム」から思う、食事どきの本能と理性のバランス
わが家では、オンライン動画配信サービス「Hulu(フールー)」を利用しているのですが、ずっと観るまい観るまいと思っていた「孤独のグルメ」をついに観てしまいました。
もともと漫画をドラマ化したもので、漫画は以前に読んでいました。まったくオチのない漫画で、それはそれで新鮮だったのですが、主人公の井之頭五郎がちょっと苦手だったのです。
ドラマの「孤独のグルメ」がHuluで観れることはだいぶ前に知ってましたが、ずっと“触れないように”していました。それがある時、ふと魔が差したしたのか、孤独のグルメの「第1話」をクリックしてしまいました。
はじめはなんとなく眺めていた程度でしたが、最後の「食事シーン」になったとたん、Macの画面に思わず釘付けになりました。
そして、立て続けに第2話、第3話を、画面を舐めるようにして観てしまいました。
この異常な「惹かれっぷり」は何なんだろう? 以前どこかで体験したことがあるなと思い、頭のメモリー内をサーチみると、ふとある風景が思い出されました。
動物園の「もぐもぐタイム」だ!
「井之頭五郎の食事シーンは、シロクマやチンパンジーが食事する風景と似ている」と思ったのでした。
動物園の食事シーンを見るために、多くの来園者は、食事時間にその動物舎に群がります。ものを食べる動物の姿は、動物園のまさにハイライトです。
動物たちが食にありつく姿に、多くの人は、なぜ惹かれるのでしょうか。その理由の一つは、きっと、動物の本能のままの“真の姿”が見られるからでしょう。
しかし、本能のまま食べる姿というのは、動物では許されますが、大の大人が本能のままに食事をむさぼっていると、理性を欠いた姿のように見えるため、それが私が「孤独のグルメ」の主人公が苦手だった理由なのだと気が付かされました。
また、理性だけで食べている人を見ても、これまたちっとも惹かれないでしょう。「あの有名なシェフが貴重な食材を斬新な料理法で作った料理→だからおいしそう」のようなアタマでっかちで味わっている姿を見てもきっと魅力的には見えないはずです。
私は、お腹が空き過ぎると、本能に任せた「動物喰い」になってしまします。逆に、ふだんなかなか行けないラグジュアリーな店に行くときは、事前にお店の情報をアタマに入れ過ぎて「脳喰い」になってしまします。
本能と理性がバランスのよい時、つまりカラダとアタマが両方おいしいと感じる時こそ、理想的な食事どきなのでしょう。
実際、井之頭五郎は頭の中でいろいろつぶやきながら食べているので、本能喰いではないです。また、動物園の動物たちも、実はものすごく考えながら食べ物をたべているのかもしれませんね。