「思考の強制終了」と「他人を叩きたい衝動」
今日、「思考停止社会 ~「遵守」に蝕まれる日本」という新書を読みました。日本の経済と社会を覆う閉塞感の正体として、法令を「遵守」し、思考停止に陥る現状の例がいろいろと書かれています。
本文の第1章に、食の「偽装」「隠蔽」に見る思考停止として、繰り返される食品企業に対してのバッシングが描かれています。著者は、不二家の事件の信頼回復対策会議の議長に就任していた人だけに、事件の根本を射抜いており、不二家や伊藤ハムの事件に対する世間のバッシングがいかにマスメディアや国民の思考停止によるものかが書かれています。
著者は「法令遵守」がいかに思考停止社会に繋がるかを解説しています。私も現代は思考停止社会になっていると思いますが、その原因は法令を遵守しようという積極的なものではなく、ただ単に社会の「考える力の減退」と「他人を叩きたい衝動」によるものでしょう。
例えば、不二家の事件にしても、「消費期限切れの牛乳」が事の発端ですが、食品表示の意味や食品衛生を理解することなく、ただ単に「悪いことをしたっぽい」ということだけで、事件の中身をあまりよく考えずマスコミに踊らされてバッシングしたと思われます。
学生を教えていてよく感じることですが、抽象的な概念、分からない単語などが出てくるとそこで思考停止になり、その先の話は全く耳に入らなくなる学生が多くなりました。その様子をみていると、思考を自ら停止しているのではなく、「考えることができない」、つまり意思とは関係なく「思考が強制終了される」のではないかと思うようになりました。そのため、自分が分からない話になると、難しい本質の部分はすっ飛ばして、安直な結論にすぐ飛び付くのです。
小さい頃からのトレーニングで、培われていなければならない「物事を知ろうとする力」「深く考える力」「多角的に捉える力」は急速に失われています。「知的好奇心」という言葉は、もはや死語かもしれません。
また、些細な事件でも「絶対許せない」と激しくバッシングする人や、ネットのちょっとしたコメントにも強力な正義感を振りかざす人達を見ると、「上にいる人を引きずりおろしたい」「ちょっとでも出る杭は打ちのめしたい」「とにかく他人を叩きたい」という感情が現代に渦巻いています。
日本は、つくづく嫉妬の社会だと思います。

- 作者: 郷原信郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/02/19
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