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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

「今を生きる」人こそ、未来を考えよう

 機械化や人工知能の進歩によって、近い将来「消える仕事、食えなくなる仕事」などをよく耳にするようになりました。

 現在、働いている人は今の職業、学生などはこれから就く職業が、未来永劫安泰だと思っている人はおそらく少ないでしょう。今後、多くの人が、自分ではどうしようもできない巨大な変化の波をかぶるのは間違いありません。

未来を考えたくない理由

 自分の仕事がなくなるかもしれないという未来を思えば、少なからず不安になるのは当然です。

 しかも、変化のスピードはどんどん増しています。情報量は、直線ではなく指数関数的に伸びていることを考えると、3年後とか5年後などの未来を予測するのならまだしも、何十年後という遠い未来をわざわざ考えることに意味や意義を感じにくいものです。

 未来なんて結局誰も正確には予測はできないのだから、「この瞬間を生きればいい!」と思いたくなるのもいわば当然の心理でしょう。

 不安な将来のことを思い、苦しむくらいであれば、考えず目の前のことだけに集中したくなります。

完璧な未来予知ができてしまった「アッサジ」の気持ち

 先を知ることには、おのずと不安や恐怖が付いてきます。

 未来予測で最も怖いことの一つは、自分の死期を正確に知ってしまうことでしょう。

 手塚治虫の漫画『ブッダ』の中で、「アッサジ」という登場人物がいます。いつも鼻水をいつもたらしている脱力系のキャラですが、高熱がきっかけで未来を予測する能力を身につけます。数々の予知を的中させますが、自分の最期も予知します。「10年後、飢えた獣に食われて死ぬ」というものです。最期のシーンでは、そのアッサジは飢えたオオカミの子供たちの前にあっさりと身を差し出します。

 『ブッダ』は私が好きな漫画の一つですが、このシーンが、一番衝撃的で心に深く刺さっています。アッサジのように、自分の内臓や手足が食いちぎられる最期を知りながらも平然と過ごさなければならない心境(当然、内面はざわついた状態)はどのようなものであったのか、と。

 自分が病気によって余命を宣告させ、直視できない現実が待ち受けていたらと考えれば考えるほど、アッサジのように動じずに淡々と生きる姿には心打たれるものがあります。

今のリアルは、未来から生まれる

 将来、明るい未来が確約されているならまだしも、先行き不透明感のある将来を見つめることへの恐怖は多くの人が抱いていることでしょう。

 しかし、未来を知ることが、現実をより“リアルに”生きるためには、ある種必要なことなのではないかと感じます。

 道を歩いている時に、自分の周りだけ見て歩けば石につまずくことはないのかもしれません。しかし、前を歩いている人にぶつかるかもしれないでしょう。逆に景色ばかり見ていても、近くの障害物にぶつかる危険性もあります。

 目の間のことを頑張るのはもちろん大切ですが、ちょっと遠い未来に対しても、気が滅入らない程度にちらっとたまに眺めることが、なんとなく大事だと思うのです。

 私の専門の「食の未来」をこれから数ヶ月の間、ちょっと深く掘り下げていきたいと思います。

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