読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

なぜ多くの人々が料理の写真を撮って共有するのか?

食と社会

 以前のエントリーで、以下のような記事を書きました。

 レストランでの写真は、TPOでしょう。

 写真を撮るのは、食べると消えてなくなる料理を記念に残したいという気持ちもあるでしょうが、Twitter、Facebook、LINEなどのSNSで共有したいということも大きいのではないかと思います。

 日経でこのような記事がありました。

 その中で興味深い指摘がありました。

 なぜこれだけ多くの人々が料理の写真を撮って共有するのだろうか。根底には、料理の写真をツールとして周りの人々と近くなりたい、会話を持ちたいという思いが見える。生活に欠かせない料理の写真であれば共感が生まれやすく、見た人もコメントをしやすく、会話も生まれやすい。

 また、毎日新聞の特集記事からも一つ。

 以下に、一部引用。

  自炊しなくてもおいしい食事にありつける時代。そんな環境にあっても、石毛さんは「家族で食卓を囲むという喜びがすたれることはない。なぜなら、人類は家族に代わる集団単位を見つけられていないから」と力を込める。「料理を作る楽しみは、食べてくれる誰かがいる楽しみ。食べてもらい、批評してもらうことが、作る者の生きがいにつながる」

 少子・高齢化、晩婚化、孤食……その先にある「だんらん」とは、どんなものだろう。石毛さんは「家族がいなくても、気の合う近所の人や同じ趣味の仲間が集まって食卓を共にする、新しい共食」を提案する。

 サークルやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを介して知り合った友人、寮やシェアハウスの住人、独り暮らしのお年寄り同士など、見回せば「血縁」に限らない絆は意外に豊かだ。食卓を囲んで、おいしい食事と気の置けないひとときを共有する喜び。そんな新しいだんらんの形が見えてくる。

  一緒に食事をすると親密度が上がるというのは、太古の人類の祖先がたき火を囲みながら、狩猟で得た獲物や採取した種実を食べているときからおそらく変わっていないのでしょう。

 これからも人が同じ食卓を囲んだり、供食するということの重要性はおそらく失われることはないと思います。

 今のSNSの時代、料理の写真を共有するということは、“だんらんとしての食卓”がリアルな現場だけではなく、ソーシャルメディアを介した世界にその範囲を急速に広げているということを意味するのかもしれません。しかも時空という垣根を超えて。

f:id:yashoku:20150328220159j:plain