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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

「知性」アプローチの限界と「感性」との融合

おいしさ 食の心理 食の科学 食と感性

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 東日本大震災の直後の仙台で、ラジオしか情報入手方法がなかった頃。そのラジオから流れてきたある情報がいまも頭に残っています。

 震災下、被災者を襲うストレスに対してどのように対処すべきかというアナウンサーの質問の答えとして、ある大学の先生が「ストレスを緩和する新規食品成分◯◯」の話をしていました(もしくは、させられていました)。その時、私の中で「いやいやいや、今、それではないでしょ!」という気持ちが支配しました。

 私自身、ずっと食品の機能性を研究していた側の人間でしたので、食品成分のストレス緩和作用について一般の方よりもその重要性については理解しているつもりでした。

 しかし、陸海空あらゆる方面からの物流が途絶えていた状況の中で、数々のストレスに耐えながら被災者が必死に求めていたのは、ストレス緩和成分のようなものではなく、ただ単に「普段の食事」と「普段の生活」であったと思うのです。

 おそらくその時から、「食」の研究において、自然科学方面だけからの研究アプローチに対しての“限界”をリアルに感じ取ったのだと思います。

 食品の栄養性・機能性の研究は、もちろんとても大切だと思っています。しかし、「食」にはその栄養性や機能性を重視する「知性食い」がある一方、「家族と一緒にいつもの食卓で食べるのが一番ほっとする」といったその人の感情に左右される「感性食い」があります。食べるという行為には、この「知性」と「感性」の感情のバランスが絶妙に配合されているため、片方だけの研究ではおそらくその半分しか理解できないと自分の食生活を振り返っても思うのです。

 「おいしさとは何なのか」、「人が食べるというのはどういうことなのか」といったことに答えるためには、少なくとも「知性食い」および「感性食い」両面から研究しないとその本質は到底迫ることができないと思うようになりました。これからの非常食や備蓄食について考える際も、この「知性」と「感性」を統合したアプローチが必要だと思います。

 また、定期的に社会問題となる「食の安全・安心」も同様でしょう。

 たとえば、トイレに落ちた食べものを食べたいと思うでしょうか。その食品が「安全」かどうかは、微生物検査や有害物質の定量といった自然科学の力でほぼ説明できます。しかし、たとえその食品が安全だとわかってもトイレに落ちた食品を口にするのに抵抗を感じる人は多いことでしょう。つまり、食品が「安全」でも、人がその食品に対して「安心」を感じるかどうかは、人の感情・情緒といった「感性」の問題であり、この領域に踏み込まなければ真の食の安全・安心の問題は解決できないと思います。

 食が「知性」と「感性」が絡み合った“ハイブリッド”であることが、研究対象としては理解を極めて難しくしている一方、この複雑性こそが、食の研究の醍醐味であると言えます。

 私達にとって「食」はとても身近なものですが、いろいろなことを考えさせてくれる実に奥深い存在でもあります。

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