夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

新食品への恐怖と興味の背景にあるもの〜食品心理学の視点から〜

 今日は虫の日でした。今日の講義の終わり頃に、前のブログ記事のような話をちょっとしました。そうしたら、学生に講義の終わりに毎回書いてもらっているコメント票の一つに「虫が気持ち悪すぎて、今日の講義がどんな内容だったか忘れるくらい強烈なイメージを受けました。」ということが書かれていました。ブログよりもだいぶ“マイルド”に話したつもりですが、昆虫食、もちろん生理的に受け付けない人はたくさんいるでしょう。

 しかし、その一方で、「コオロギチップス」食べて見たいというコメントもいくつかありました。

 新しい食材に対する「恐怖」と「興味」の背景にあるものは何でしょうか? 食品心理学の視点から考えてみましょう。

食べることの心理学―食べる、食べない、好き、嫌い (有斐閣選書)

食べることの心理学―食べる、食べない、好き、嫌い (有斐閣選書)

 

  私たち人間はそもそも、いろいろなものを食べる「雑食性動物」です。それに対し、パンダはササの葉だけを食べ、コアラはユーカリの葉だけしか食べません。

 動物の生き残り戦略を考えると、雑食性動物は、慣れ親しんだ食べものが入手困難な状況になったとしても、それ以外の食べられるものへと嗜好をシフトすることによって飢餓を脱し、生存する確率を高めることができます。いわば環境適応性に優れた生きものであるといえます。

 しかしその一方で、新たに見つけ出した食べものが毒性を持っていたり、栄養バランスが悪いものであれば、健康を損ね、最悪死に至る可能性もあります。そのため、野生の雑食動物にとっては、新しい食べものを食べるときには必ずリスクと対峙しなければなりません。

 すなわち雑食性動物は、食べたことのないものを食べることに躊躇する「食物新規性恐怖」と積極的に食べようとする「食物新規性嗜好」という相矛盾する行動傾向を生まれながら合わせ持っているということです。定番のものが食べたい一方で、変わったものも食べたいというジレンマは、雑食の動物だからこそ湧き出る感情なのでしょう。草食動物のゾウやカバ、肉食動物のトラやライオンのように決まったものしか食べない「単食性動物」は感じ得ない悩みです。

 雑食性動物がもつ食べものの新規性恐怖と新規性嗜好のジレンマを解消してきたのが、人の「調理」という行動です。

 食べたことのない食材、たとえば昆虫をそのままの“原形”で出されると、拒否感を抱く人が多いでしょうが、粉にして見慣れたお菓子のチップスに調理すれば、食べる人が激増するでしょう。慣れ親しんだ調味料で味付けしたものであれば、「あっ、意外とおいしい!」と好評価されるかもしれません。この「調理」という人の操作が、新奇なものを食べるという恐怖を緩和させるのに一役買っています。

 私たちの祖先は、恐怖を上回る「好奇心」で食べたことのないものをどんどん自分たちの調理法の中に組み込み、新たな食事のレパートリーとして加えてきました。食材を調理することによって、そのままでは食べられないものも食べられるものに変え、さらに毒のあるものでさえ解毒して食べてきました。たとえば、熱帯・亜熱帯地方で重要な主食とされているイモ類の「キャッサバ(タピオカの原料)」には、有毒な青酸配糖体のリナマリンという物質が含まれていますが、ヒトは加工・調理の過程でこの毒性の成分をきちんと除去し、可食化に成功しています。

 「同じものばかり食べるのは飽きる」「新しいものが食べたい」という雑食性動物のいわば根源的ともいえる欲求に答えるためにも、「分子調理学」や「分子調理法」によって、これまで誰も見たことのないような新しい料理を生み出し、「新奇恐怖」が起こらないように提供することは社会的にとても価値のあることだと思います。