夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

分子ガストロノミーは死んだ!?  その発展を阻んだものとは?

 先日ご紹介した「料理と科学のおいしい出会い: 分子調理が食の常識を変える」という本の説明がごちら。

内容説明

近年、物理学、化学、生物学、工学の知識を調理のプロセスに取り込み、これまでにない新しい料理を創造しようとする「分子調理」が注目されている。本書ではまず、分子調理の世界的な広がりの様子を眺め、料理と科学の幸運な出会いの場面を描く。そのうえで、おいしさを感じる人間の能力、おいしい料理を構成する成分、おいしい料理をつくる器具といった、料理と科学の親密な関係をひもとき、これらの知見を応用したときに生まれるであろう、「超料理」の可能性を考えていく。少しでもおいしい料理を実現するための、分子調理の世界へようこそ!

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 だいぶ「分子調理」という言葉を推していますが、この分野を表す言葉には「分子調理」以外にも、「分子ガストロノミー」という有名な言葉があります。

 分子ガストロノミーは、フランスの物理化学者エルヴィ・ティス氏によって提唱され、「技術ではなく科学である」であると位置づけられました。ティス氏は、新しい道具、新しい手法を用いて斬新な料理を創る技術とは異なるという主張を頑なに続けてきました。

 文献でもティス氏は「分子ガストロノミーの主な目的は、現象のメカニズムを見出すこと。知識を応用する“発明”でなく、知識を生み出す“発見”である。シェフは分子クッキング Molecular Cookingを行っているかもしれないが、分子ガストロノミー Molecular Gastoronomyは行っていない」と明確に語っています*1*2

 科学者とシェフの協力によって興味深い事実が発見され、また新たな調理法も開発されていました。しかし、分子ガストロノミーの創始者は科学に固執し、シェフの分子ガストロノミーへの貢献を高く評価しなかったため、最初協力的であったシェフたちが次第に離反していったという歴史があります。

 2006年には、エル・ブリ(エル・ブジ)のフェラン・アドリア氏など分子ガストロノミーとの関わりをよく取り上げられるシェフ数名が、自身らの料理のアプローチはその単語と一線を画すとの共同声明をわざわざ出すほどでした*3。さらに、ファット・ダックのヘストン・ブルメンタール氏は、英国の新聞『オブザーバー The Observer』の記事内で「Molecular gastronomy is dead.(分子ガストロノミーは死んだ。)」とも語っています*4

 このような経緯もあり、シェフの中には、「分子ガストロノミー」という言葉にアレルギーを示す人も多くいるといわれています。

 私が思うに、分子ガストロノミーの発展が妨げられたのは、料理人が考える分子ガストロノミーと科学者が考える分子ガストロノミーの定義の間に齟齬があったように感じます。

 「料理と科学」の未来を考える上で、すでにいろいろな意味を持ち過ぎてしまった「分子ガストロノミー」という単語は使わず、「分子調理」という言葉を使ったのにはそのような背景があります。

 その「分子調理」の具体的な定義については、また次のブログにでも。

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料理と科学のおいしい出会い: 分子調理が食の常識を変える (DOJIN選書)

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*1:Hervé This(2009).“Twenty Years of Molecular Gastronomy” 日本調理学会誌,42(2):79-85.

*2:Barham, P.,Skibsted, L.H.,Bredie, W.L.,Frøst, M.B.,Møller, P.,Risbo, J., Snitkjaer, P.(2010).“Mortensen LM. Molecular gastronomy: a new emerging scientific discipline.” Chem. Rev.,110(4):2313-65.

*3:The Observer.“Statement on the ‘new cookery'

*4:The Observer.“‘Molecular gastronomy is dead.' Heston speaks out