夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

朝食に「パン屋がごはんを、米屋がパンを食べる」という現象

 最近、学生と交わした会話3つ。

学生Aさん「実家はパン屋なんですが、朝食は“ごはん”でした。」

私「えっ、朝、焼きたてのパンとか食べるんじゃないの!?」

学生Bさん「私の親戚が米の卸をやっているんですが、朝は“パン派”だと言ってました。」

私「ほ、ほんと?『米屋さんの朝食がパン』ってなんかイメージ沸かないな〜。」

学生Cさん「友達の家が魚屋さんなんですが、その子は“魚嫌い”で、『回転寿司に行くと食べれるものが少ない』って言ってました。」

私「魚屋の娘が魚嫌いって…。回転寿司屋では『卵、かっぱ、かんぴょう巻き』のヘビーローテーションになりそうだね。」

 私も似たような経験があって、私の実家で野菜を作っていましたが、私が小学生の頃、夏になると自宅で収穫したトマトとナスが食卓に毎回毎回出現するので、一時期嫌いになった記憶があります。今はどちらもおいしく食べていますが。

 きっと、私たちの中に「パン屋さんは朝、自分で作ったパンを食べているはずだ」とか、「お米屋さんは、朝食に和食を食べているに違いない」というある種の思い込みがあるのでしょうが、「身近に“あり過ぎる”食材だと、案外食べなくなる」という現象もまた事実でしょう。

 「“過剰な供給”による逃避」という現象は、特に食品に限らず、世の中にたくさんあると思います。

 例えば、「TVやWebなどによる“過剰な情報”の遮断」とか「親の“過剰な期待”からの子どもの逃避」とか「恋人の“過剰な愛(嫉妬?)”からの逃亡」など、まぁ枚挙に暇がないです。

 食べものの好き嫌いがはっきりと出やすい時期は、小学生ぐらいからでしょうか。食べものの嫌いな要因としては、「味や香りがダメ」ということが圧倒的に影響力大でしょうが、「過剰供給によって嫌いになる」というのもひとつの要因としてあるのではないかと思います。

 ただ、どこから過剰供給になるのかというのは、子供たちが感じる「閾値」というハードルの高さがそれぞれ違うので、普段食事を準備する側としてはなかなか判断が難しいですね。

 私の大好きなビールですが、飲み会でいくら“過剰供給”されても一向に“飽き”がやって来ません。いつも“ぐいぐい”と引き込まれるので、困っています。

 まぁ、普段家で飲んでいるのが、「第三のビール」だからですかねぇ…。