夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

ガウディの「本当の芸術は、感情と理性のバランスにある」という言葉の普遍性

 先月のスペイン出張では、マドリード→グラナダ→バルセロナへという行程で移動しました。

 バルセロナは、帰路ということもあり滞在時間が短かったのですが、訪れてみたい都市でした。

 バルセロナといえば、世界遺産であるサグラダ・ファミリア教会をはじめとするアントニオ・ガウディの作品群がまず頭に浮かびます。

 スペインに発つ前、田澤耕さんの「ガウディ伝」を妻から勧められ、“予習”しました。

 その中で、思わず膝を打つ文章がありました。

ガウディ伝 - 「時代の意志」を読む (中公新書)

ガウディ伝 - 「時代の意志」を読む (中公新書)

 

 

 後年、健康を害したガウディが、北部の都市ビックで養生したことがある。このとき、散歩をしながら知人にガウディはこう断言した。

「本当の芸術は地中海沿岸でしか生まれなかったのだよ」

 相手が著名な建築家と知っていた知人はこわごわこう反論した。

「しかし、北ヨーロッパにもレンブラントやファン・ダイクのような立派な画家がおりますが……」

 するとガウディは、

「あなたの言っているのは、ブルジョアの食堂を飾るにふさわしい二流の装飾品にすぎない!」

と一刀両断に切り捨てたのであった。

 またガウディはこんなことばも残している。「われわれ(地中海人)の力である想像の優越性は、感情と理性のつり合いがとれているところにある。北方人種は、強迫観念にとらわれ、感情を押し殺してしまうし、南方人種は、色彩の過剰に眩惑(げんわく)され、合理性を怠り、怪物を造る」

  ガウディの地中海文化への「偏愛」ぶりは有名だそうですが、実際、グエル(グエイ)別邸とバトリョ(バッリョー)邸を生で見た時、確かにその「感情と理性」のバランスは十二分に感じました。

 それらの建築物は、一見そのデザインの斬新さにのみ目を奪われがちですが、隅々に凝らした機能性、特に上からの圧力を均等に支えることができる「放物線アーチ」の多用など、「芸術性と合理性の融合」が実に見事でした。

  世界中にガウディファンがいますが、その2つの「調和」に多くの方の心が揺さぶられているのではないかと思います。

 この「感情と理性のバランスの優越性」は、建築をはじめとした芸術分野に限らず、あらゆる“表現者”にも普遍的に当てはまる「法則」のような気がします。

 たとえば、人気のある記者、ライター、作家、ブロガーなどの「文章」は、感情を文章に乗せつつも、決して感情的になりすぎることはなく、また、理論破綻のない納得感の高い文でありつつも、くどいほどの理論は振りかざさないという、絶妙なバランスを取っていることが多いように感じます。

 また、人がダイレクトに表現する「プレゼン」なども、すーっと筋が通った話に、自分の想いを織り込んだ話ほど、心に染みるものです。

 最近でいうと、東京オリンピック招致での佐藤真海さんの感動的なプレゼンは「感情と理性」のバランスが極めて優れていたと思います。

 私の大学の講義でも、知識を話すだけでは学生には十分には伝わらず、その話題に対する個人的な感情を混ぜ込ませると、学生の注目度や理解度は格段に上がるという感触があります。

 まぁどんな場合も、人が自分以外の誰かに何かを“表現”するとき、無意識にこの感情と理性という2つのファクターを天秤にかけているのでしょう。

 おもちゃ屋などでお母さんにものをねだる子供でさえも、「みんな、持っているよ!」といった理性的!?な部分や、「ジタバタして暴れる」という感情的な部分を駆使して目的を達成しようとするものです。

 ガウディが、この感情と理性のつり合いを自覚しながら、あの建築物を造っていたことに、私は深く感銘を受けました。

 残念ながら、そのガウディの未完の教会サグラダ・ファミリアは、時間がなく、見れずじまいでしたが…。

 ここは食のブログなので、最後にバルセロナで買ったおみやげ「オリーブオイルのキャビア」を紹介します。↓

http://instagram.com/p/fAKbFMEiyh/