夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

スペインの生ハム「ハモン・イベリコ」の食品比較論と分子美味論

 スペインの生ハムの塊が「イスラム教徒への“踏み絵”」に見えた話を前のブログで書きましたが、書いた後「スペイン料理」のWikipediaを見たら*1、異教徒への“踏み絵的料理”って結構あることがわかりました。

 人の精神と肉体に大きな割合を占める「宗教と料理」の歴史って、調べると“味わい深い”んでしょうね。

 スペインで“肉のカーテン”を眺めている時、その前に新潟に出張で行っていたためか、越後村上市特産の「鮭の酒びたし*2と生ハムとの類似性を感じました。

 鮭の酒びたしは、塩引き鮭と同じように仕込んだ鮭を軒先に吊るし、冬の日本海の冷たい風邪で風乾させ、春、さらに夏に発酵させることによってうま味を増大させるという、世界にも例がない半年から1年越しで作る鮭の保存食です。

 酒びたしの名の由来通り、切った鮭を皿にならべて酒を振りかけひたして食べるのが定番です。

 吊るす感じが、何となく似てません?

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 スペインの生ハム、すなわちハモン・セラーノは、ハモンはハム、セラーノが「山岳地帯の」「山の」という意味からわかるように、歴史的に山で作られて来ました。

 昼と夜の温度差、山の上から吹き下ろす乾いた風、その気候でのみ存在する独特のカビなどの一定の条件が合わさる高地でおいしい生ハムの製造が可能となります。

 ハモン・セラーノは、豚の後ろ足の部分を岩塩に漬け込み、塩を取り除いて表面を乾燥させ、6ヶ月から2年以上の熟成を経て完成させます。

 ハモン・セラーノも鮭の酒びたしも作り方は、原理的に似通っていて、調味料はだけという、シンプルさです。

 ハモン・セラーノ(鮭の酒びたし)を式に表すなら次のようになるでしょうか。

 ハモン・セラーノ(鮭の酒びたし) = 豚後ろ足(鮭) × 塩 × 風土 × 職人の腕

 熟成のプロセスには、イベリア半島にある山地なり、日本海の沿岸なりの気候条件が大きく関わっています。

 「フードは風土」ですね。

 ハモン・セラーノの中でも世界的に人気なのが、イベリコ豚で作られるハモン・イベリコです。

 ヨーロッパに現存する豚のなかではもっとも原生種に近く、イノシシに近いともいえるイベリコ豚は、通常の白豚と比べて脂肪層が厚く、長い熟成期間をかけて適度の乾燥と風味を得ることができるため、より高級な生ハムの原料として好まれています。

 普通の白豚で作るハモン・セラーノの場合は、熟成のプロセスに最低36週間の時間をかけることがスペインの品質管理統制委員会で定められているようですが、ハモン・イベリコの場合には、約2年間の熟成期間が義務づけられています。

 この時点で、ハモン・セラーノの重量が、生肉の約30%以下に減ります。酒びたしも、同様に最終的に漁獲時の重量の約1/3になります。 

 ハモン・イベリコが珍重されるのは、通常のハモン・セラーノでは実現できない絶妙な風味・食感があるためで、特徴的なのはその香りと舌触りでしょう。

 これらには、脂質が大きく関わっています。

 生ハムの香りは、食肉の中に存在する内在性の酵素と食肉に付着したカビ等が、長期間の熟成によって脂質を分解することで生成し、独特の芳香が生まれます。

 そして生ハムの味や食感には、その家畜の遺伝的な要因も大きいですが、家畜が食べる餌の影響も絶大です。

 イベリコ豚の食べものとして最高なのは、樫の木やドングリなどので、これらを食べて育ったイベリコ豚が最高級の生ハムになるといわれています。

 これは、ドングリに含まれる豊富なオレイン酸が独特の肉質を獲得することを可能にためです。ドングリを食べた豚肉はよく「ナッツみたいに甘い」といわれます。

 さらに、イベリコ豚の脂質は、熟成のプロセスで飽和脂肪酸よりも低い温度で溶ける脂肪に変化し、さらにその脂肪が筋肉組織に浸透していく性質を持っているため、赤身の肉の一部も一種の霜降りのように変化することがわかっています。

 動物性の脂質がより口どけのいい植物性寄りの脂質に変化するということでしょう。

 このハモン・イベリコの脂身のおいしさを存分に活かした料理に、「エル・ブジ(elBulli、エル・ブリ)」で人気を博した「ラビオリ・デ・イベリコ」というものがあります。

 ラビオリの皮をハモン・イベリコで作ったもので、生ハムが溶け出す前の温度で提供されると脂身のあの独特のうま味が最大限に活かされるというものです。

  単純に、スライスしただけのハモン・イベリコだけでも、充分ワインが進みます。

 まぁ日本では、鮭の酒びたしで日本酒を傾けたいものです。これから月見酒がいいですねぇ。

*1:スペイン料理 - Wikipedia

*2:鮭の酒びたしの概要|鮭の酒びたし|おすすめ情報|村上市観光協会 -鮭・酒・人情 むらかみ-