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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

スペイン人の豚肉へのこだわり 〜生ハムはイスラム教徒への踏み絵!?〜

 スペインから帰りしばらく経ちましたが、海外出張の疲れと日本の季節の変わり目も相まってか、1日のうち20時間ぐらい眠い日が続いています。

 この週末中に、なんとか通常操業の状態に戻したいものです。

 スペインで食べたおいしい料理をアタマで反芻し、余韻に浸っていますが、スペイン料理の代名詞「生ハム」は噂に違わず絶品でした。

 街中で頻繁に見かけた、生ハム原型の豚肉の塊を大量に吊るしてある風景は、圧巻というか、「“豚肉カーテン”じゃん!」と何度も突っ込みを入れたくなるものでした。 

http://instagram.com/p/ezcGKXEi4Z/

 スペイン料理には、地中海文化圏なので魚介類を使ったものがたくさんありますが、やはり肉料理がメインです。

 このスペインの食肉文化には、おもしろい「独自性」があります。

 世界の食肉生産高は40数%がで占められているのに対し、スペインでは約38%が豚で生産高1位となっています。

 さらに、世界的には8%以内しかない羊・山羊が、スペインでは15%近くを占めていて、ほとんど鶏に近いアドバンテージであるという特徴となっています。

 近隣のイタリアは60%以上、フランスは50%以上が牛肉の生産で占められていることからも、スペインの牛肉比率が26%というのはきわめて低いということがわかります。

 スペインのこの食肉比率の特徴は、スペインが位置するイベリア半島の地理的要因、すなわち、気候条件が過酷で牛のための牧草が生育しにくい土地であることや、山羊の牧畜だけがかろうじて可能であるような険しい山岳地帯という「自然環境」の要因が大きいためです。

 しかしもう一点、スペイン食文化研究者の渡辺万里さんが書かれた本の中で、スペインの食肉文化を語る上での「スペインの歴史」が、自然環境とともに、豚肉優位のスペイン料理を解釈する上で興味深いものでした。

スペインの竈から―美味しく読むスペイン料理の歴史

スペインの竈から―美味しく読むスペイン料理の歴史

 

  中世前期のイベリア半島には、イスラム教とユダヤ教徒、キリスト教徒が混在する時代でした。

 この時期、イスラム教徒とキリスト教徒のあいだに度々戦いが起こりましたが、三者が共存する形が成り立ちました。

 キリスト教徒の王国内では、早い時期に肉屋という職業が確立し、豚肉をはじめとして、牛や羊などのすべての肉が扱われていました。

 一方、ユダヤ教では、「動物の血を食してはならない」という条件などで、教えに従って殺した食べものしか食べることができませんでした。

 また、イスラム教徒の条件は、ユダヤ教に似ていましたが、野獣や荷役獣などを食べることは禁じられていたので、彼らが食べることができたのは、牛、羊、山羊などで、そのなかでも羊は重要な部分を占めていました。

 イスラム教徒はいっさい豚肉を食べませんでした。

 こうした状況が、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)によって、かつての支配者であったイスラムと豊かな経済力を持つユダヤに対して、宗教を盾に追放、もしくは改宗と財産の没収を条件に居住を許すという形でその勢力の一掃をはかりました。

 カトリック教に改宗してスペインに残ることを選んだイスラム教徒やユダヤ教徒たちは、常に異端審問の恐怖に怯えながら暮らすことになりました。

 隣人すら異端審問会への密告者となるかわからないという状況で、改宗者にとって、キリスト教徒が好む豚肉を食べることが、改宗を裏付け、生き延びるための重要な証拠になったといいます。

 豚肉を食べることが、いわば“踏み絵”だったのでしょう。

 このようにして、現代のスペイン料理は、キリスト教徒の好みが基盤となって、隠されながらもイスラム教やユダヤ教の影響が加えられ、豚肉と羊・山羊の影響力の強い料理が存在するようになったのです。

 出張中、スペインの街中で見かけた異常な量の豚肉の塊がぶら下がる風景が、私には「イスラム教徒への再侵略を絶対に許さないぞ」というキリスト教徒の強い決意表明のように思えたのでした。

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