夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

フェラン・アドリアの「料理と科学」 “斬新”を作るための“科学的”技術

 私は、

    • 料理(Cooking)
    • 科学(Science)
    • 芸術(Art)

の“3つ輪”が交わる「融合領域」に強い関心があります。

 スペインのシェフ、フェラン・アドリアの料理は、そのうち「料理」と「芸術」の2つの輪が大きく重なって見えます。しかし、「科学」の“輪っか”は、あまり見えてきません。

 アドリアのレストラン「エル・ブリ」は、その前衛的な料理で、1998年にミシュランの三ツ星を獲得、2006年より4年連続「世界のベストレストラン」第一位、そして世界で最も予約の取れないレストランとしてつとに有名でした(現在、閉店中)。

 エル・ブリの料理は、一言で言うなれば、「人の五感すべてに働きかけ、さらに、“人の脳をびっくりさせる”料理」です。

 そのようなある種奇抜な料理を作るためには、従来の調理器具や調理方法は“間に合わない”ため、これまで料理には使われていないような「道具」や「手段」を導入しました。その中に、実験室で使うような器具や技術がエル・ブリのキッチンにあったので、多くの人には“科学的”に見えたのでしょう。

 現代アートの世界でも新しい素材や最新の表現方法を用いることはたくさんあると思います。しかし、それがテクニック的に斬新だからといって、「サイエンス」であるかどうかはまた別の話です。どちらかといえば、「ニューテクノロジー」でしょう。

 書籍などを読む限り、アドリアは、創造的で芸術的な料理を生み出すことには莫大なエネルギーを注いでいましたが、その料理を生み出すための原理や現象の解明にはあまり興味がなかったように見えます。

 現代アートや現代建築と同じような立ち位置にエル・ブリの料理はあると感じます。

 以下、フェラン・アドリアの「料理と科学」をさらに理解する上での3つの「エキス」を抽出してみます。

脱構築

 エル・ブリの斬新な料理の創作メソッドに、「ディコンストラクション脱構築)deconstruction」というものがあります。

 脱構築は建築や文学批評でも使われる言葉ですが、エル・ブリ脱構築は、「古典料理や伝統料理のレシピと素材を徹底的に分解して、組み立てなおし、全く新しいものに作り上げていく」という意味合いで使っています。

 料理評論家の山本益博さんは、ある本の中でアドリアの料理を「再構築」と書いており、私もこの「リコンストラクション recontruction」の方が何となく合っている気がしています。

 エル・ブリの奇想天外な料理は、賛否両論あり、食材を冒涜しているととらえる人もいたようです。

 しかし、アドリアはこう話しています。

 「ぶどうからワイン、柑橘類からシャーベット、イベリコ豚から生ハムができるように、様々なプロセスによってもともとの素材からは考えもつかない味に達している。大切なのは素材の味を最大限に引き出し、元以上の高みに持って行くことだ。」と。

 いわば、素材自身も分かっていないような潜在的な魅力をあらゆる手段を使って顕在化させ、テーブルという舞台に立たせて最終的に喝采を浴びさせる、いわば「演出家」のような印象を私はこの料理人から感じます。

エスプーマ

 エル・ブリでの有名な料理法が、「エスプーマ espuma」という食材を「泡」にする技術でしょう。

 アドリアは、生クリームや卵白を泡立てた「ムース」から着想を得て、炭酸ガスなどのバルブを使ってソーダを作る器具を改良し、エスプーマを完成させました。

 この調理器具は、空気の力だけで素材を泡立てることができるため、通常、卵白のように泡立たない素材、例えばグリンピースやハーブなどの泡を使った料理が作れるというものです。

 新しい調理器具の開発によって、食材がこれまで持ち得なかった新しいテクスチャーの料理も開発できるという一例でしょう。

 また、エル・ブリでのウェルカムドリンクの「ジンフィズ」は、上下二層になっていて、下層にフローズン・ジンフィズが、上層には下層と同じベースのエスプーマ・ジンフィズがのっているそうです。

 そんなカクテル、どんな味がするのでしょうね。

not「分子ガストロノミー」but「現代料理」

 フェラン・アドリアは、「分子ガストロノミー」や「分子料理法」を成功させたパイオニア的存在としてメディアなどに取り上げられています。

 しかし、本人は自分の料理が「分子ガストロノミー」のカテゴリーに入るとはきっと思っていないでしょうし、私もだいぶ違うと思います。

 周りの人が、見たこともない斬新な「エル・ブリ」の料理を見た時、動揺した心を何とか心を整理するために(?)、手近にあった「分子ガストロノミー」という言葉を当てはめたのでしょう。

 そして、「分子ガストロノミー」という言葉には、「特殊な手法によって風変わりな料理を生み出す、前衛的な調理スタイル」という印象が刷り込まれていったのだと思います。

 アドリアの料理は、「分子ガストロノミー」ではなく、現代アートと同じニュアンスの「現代料理」という言葉の方が私はしっくりきます。

 じゃ、そもそも「分子ガストロノミー」とはいったい何なのか。

 「分子ガストロノミー」の生みの親の一人、エルヴェ・ティスの「料理と科学」について次回書きたいと思います。

 つづく。

参考図書