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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

世代によって言葉は失われていくが、食文化は生き残る - 日系ブラジル人の話から

 今月上旬に行ったブラジルでの国際学会で、学会会場のあるフォス・ド・イグアスに行く前に、飛行機の関係でサンパウロで1泊する必要がありました。

 ブラジルというか南米に行くこと自体が今回初めてだったので、安全を考えてサンパウロの空港から泊まるホテルまでの送迎を、日本の旅行代理店にあらかじめ申し込んでおきました。

 成田→ニューヨーク→サンパウロ移動でヘロヘロになった私を、空港の到着ロビーで迎えてくれたのは、50代くらいの日系ブラジル3世というご夫婦二人でした。

 奥さんは日本語が大変流暢でしたが、運転手役の旦那さんは日本語は全く話せないようでした。

 奥さんが話す日本語が、日本人が話す以上にやけにきちんとした日本語で、映画字幕翻訳家の戸田奈津子さんのような話し方だなぁという印象を抱きましたが、あとでいろいろお聞きしたところ、以前ブラジルの国費で日本の大学に留学した経験があるとのことで、きっと昔の崩れていない日本語をそのまま今も維持していのだと妙に納得したのでした。

 はじめて訪れる土地や国に行った時、私はできるだけ市場やマーケットに行くようにしています。「食はその人の人となりを表す」といわれるように、その国を知るには、その国の人が食べているものを知ることが手っ取り早くその“国となり”をつかめるのではないかと常々思っているからです。

 そこで、車でホテルに送ってもらっている移動中、「ホテルから歩いて行けるサンパウロのマーケットを知りませんか」とお聞きしたら、奥さんが「じゃ、一緒にご案内しますよ」ということになり、ホテルに着く前に、日本語解説付きのマーケットめぐりをするという願っていもいない幸運に恵まれました。

 行ったのは、ブラジルの市営市場である「Mercado Municipal」。↓

 「上野のアメ横のようなところです」という明快な解説。

 売り場の面積をみると、肉屋、魚屋、果物屋が3大勢力のようでした。

 魚は大きな川魚が多く、主に魚の扱いになれているポルトガル系の移民が経営しているようです。乾燥したタラ(バカリャウ)が、まさに山のようにたくさん売られていましたね。これもポルトガル食の影響だそう。

 果物屋の店先は、ものすごい種類の熱帯系フルーツで占められていました。また、白菜やネギのような日本の野菜も売られていて、それらは日系ブラジル人の方が持ち込んで作っているとのことでした。

 肉は牛肉が多いだろうなと思っていましたが、豚肉の割合も多かったですね。大きな肉を買ってバーベキューをよくするのだそうです。

 大きな肉のディスプレイがお見事。↓

 ナッツ類を量り売りしているところ。↓ 真ん中の方が案内してくれた方。

 オレンジ色の果物のようなものは、カシューナッツの果実。↓ カシューナッツの頭が果実からちょこんと出ている。生で見たのは私も初めて。

 食べものの料理方法や産地、名物や料理の由来などを、その日系ブラジル人の方に立て続けに質問して、ブラジル食のレクチャーを受けました。食の研究者として、こんなうれしいことはなかったですね。感謝です。

 マーケットを見た後、街中の店や観光スポットをこれまた素晴らしい日本語の解説付きで通り過ぎながら、東洋人街の中にあるホテルに行きました。

 前の建物が「パドレ・アンシエタ博物館」という、サンパウロの誕生の土地。↓

途中、目が不自由なおじいさんの手を引いて横断歩道を渡らせてあげていました。↓ とても親切!

 「カテドラル・メトロポリターナ」という大きな協会。↓

 東洋人街の入り口。電話ボックスに日本の象徴「さくら」が描かれています。↓ 奥には、東洋市という出店の紅白の幕が見えます。

 途中歩きながら、ブラジルという国のことや日系ブラジル人のお話などをたくさん聞かせていただきました。

 その中で私が印象に残っている話が、「日系ブラジル3世ぐらいになると、日本語が話せなくなっている人が多いのですが、食べているものはやはり日本食が多い」ということでした。

 そのため、東洋人街にある日本食を取り扱っている店によく買い物にくる方が多いとおっしゃっていました。また、小さい頃、案内してくれた方は自宅で自家製の味噌も作っていたとのことでした。

 「世代によって言葉は失われてしまっても、食文化というのは世代を超えて生き残るのだな」ということを日系ブラジル人の方の話を聞いて肌で実感したのでした。

 きっと、人類が月や火星で生活するようになっても、何世代かまでは“地球食”を食べて続けているだろうと思います。

 その日系の方とホテルで別れた後、飛行機疲れと時差ボケで頭がふらふらして一刻も早くベッドで休みたかったのですが、日系ブラジル人のことをもっと知りたい衝動に駆られ、ホテルの近くにあった「ブラジル日本移民資料館」に足を運んでみました。

 博物館前には、日本庭園もありました。↓

 1908年から始まった日系ブラジル移民の歴史について、慣れない土地での苦労がひしひしと伝わってくる展示でした。

 卵研究者としては、一番グッと来た展示。↓「ブラジルにおける採卵、養鶏の約七割は日系人の手にあるといわれる。」という張り紙。

 その帰り、東洋人街の日系食料品店でおもわず買ってしまった、ポルトガル語で書かれた「ヤクルト」↓を飲みがら、「日本」、「日本人」そして「日系人」を強く意識したブラジル・サンパウロの一夜でした。