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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

震災レシピにみた「地料理力」と「思いやり力」

 昨日、私も参加した3.11東日本大震災『「私はこうして凌いだ」〜食の知恵袋〜』交流イベントを取り上げたNHKニュース*1から。 

仙台 被災者の食事に学ぶ催し
12月3日 18時54分
 東日本大震災が発生した際、電気やガスなどのライフラインが断たれたなかで、被災者がどんな食事をしたかを教訓とし、今後の対策に生かそうという催しが仙台市で開かれました。この催しは、仙台市の市民センターが開いたもので、市民などおよそ70人が訪れました。

 はじめに栄養学の専門家が災害時の食事について講演し、「きちんとした食事をとることで、災害のときの強いストレスを減らすことができる。色んなものを食べたいと思うのは、決してぜいたくやわがままではなく、災害から立ち直るために必要なことだ」と指摘しました。

 続いて、被災者が震災のときに実際に食べた食事が紹介されました。このうち、電気やガスが止まるなかで食べられた餅は、お菓子の材料として加工されたコメの粉に水を加えて練ったもので、当時、評判になったことから非常用の食品として商品化もされたということです。

 また、74歳の男性が作った「すいとんカレー」は、石油ストーブしか使えず、ごはんが炊けない状況の中で、ごはんの代わりにすいとんを使ったもので、戦時中を思い出して考案したということです。
 試食をした人は「私はお釜に残ったご飯を少しずつ食べていましたが、こんなアイデアがあれば助かったと思います」などと話していました。
 仙台市の市民センターでは、今回、被災者から集めた30のレシピを冊子にまとめ、今後、出版することにしています。

 完成した冊子は、あくまで「『被災者の知恵』がつまったレシピとして震災の記憶とともに残し、今後の防災の際の参考にして欲しい」ということをコンセプトにしています。

 決して、この冊子があれば震災時を「凌(しの)げる」というものではありません。

 イベントを企画した代表の青葉区中央市民センターの大槻さんは、冊子の編集後記に次のように書いていらっしゃいます。

 この冊子は、災害時のマニュアル本でも料理のレシピ本でもありません。東日本大震災の発生により被災者になった方たちが、助かった命をつなぐために一生懸命過ごした「あのとき」の記録です。

と。

 今後、この冊子が出版され、もしお手元に届いた際は、書かれている「テクニック」ではなく、作った人の置かれた「状況」とその時の「想い」を感じて頂きたいと思います。

 「すいとんカレー」を作った「じん」さんは言っていました。「戦時中になにもなかった時代、おふくろが作ってくれた『はっと(東北の郷土料理)』を思い出して作りました」と。

 「ふんわりおもちもちもち」を作った菅原さんは言っていました。「アルファ化した米粉は保存がきくので、以前から非常食になると考えてました」と。

 「じゃがいもピザ」を作った玉川さん親子は言っていました。「キャンプをした時に作っていたことがあったので、楽しみながら作りました」と。

 震災時の料理というのは、さまざまなストレスが一気に降り注ぐ環境下において、限られた食材、限られた水、限られた熱源で作られます。そこで頼りになるのは、作る人のこれまでの「経験」と「知恵」です。

 普段料理をしない人が、震災時になって突然役立つレシピを思い出すわけはなく、以前からの「蓄積」や普段からの「アイデア」などがなければ、今回のような災害時の料理は決して生まれません。

 先を見通せ、自分で深く考えることができる頭の良さを「地頭力(じあたまりょく)」といいますが、震災時のレシピには、料理版の地頭力である「地料理力(じりょうりりょく)」というものが大事なのだと思います。

 また、「おたすけみそー」を作った菖蒲さんは言っていました。「避難所で『子どもやお年寄りの方が食べやすいものを』と思い作りました」と。

 じんさんは「すいとんカレーを自慢して近所の老人に分けてあげたらとても喜ばれました」と言っていましたし、菅原さんも「南三陸町から避難してこられた方に、アルファ化した米粉のもちをふるまったところ『この米粉のおかげで助かった』という感謝の声をいただきました」と言っていました。

 今回のイベントで紹介されたレシピのエピソードや冊子に載っている震災時のエピソードには、自分のためだけでなく「他の人のために」という想いがにじみ出ていました。

 「あのとき」の仙台の極度の食料品不足を経験している人間としては、自分が生き延びるのに精一杯で、他人のことにまで思いをはせるのが難しい状況だったことを覚えています。そんな状況でも、「周りの人のことも考え、実際に行動していた」というエピソードが冊子には詰まっていました。

 だから、エピソードの話を聞いていた時、私の目頭は熱くなったのです。

*1:[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111203/k10014386551000.html:title=仙台 被災者の食事に学ぶ催し] NHKニュース