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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

これからの「ミルク」の話をしよう ― いまを生き延びるための“乳”学

食と震災 食料生産 食材 食の科学

 今、首都圏や東北などの東日本のスーパーやコンビニでは、牛乳や乳製品が不足しているところが多いようです。私も久しくヨーグルトというものにお目にかかっていません。 

 牛乳主要メーカーの各工場が計画停電で十分に稼働できないこと、飲料用の紙パック製造会社が被災していること、さらに、福島原発の放射能漏れ事故の出荷停止の影響で原料も足りなくなっていることなどが原因のようです。

 当たり前にあると思っていた牛乳やヨーグルトが、品薄だったり、陳列棚にないという現状。「全然ウチの近くのスーパーにいっぱいあるよ」という所も多いでしょうが、こんなときだからこそ、身近な「ミルク」についてちょっと想いを馳せたいと思います。

ミルクとは、この世に存在する唯一の“食べ物”

 私は、農学部の動物系の学科の出身です。その学科の大学時の講義で、「ミルク科学」という講義名の必修科目がありました。授業のネーミングが柔らかすぎて、当時「み、みるく?」と思いました。母校のWebサイトでシラバスを見たら、今も同じ科目名の講義があって、ちょっとうれしくなりました。

 ミルク科学ですから、半年間の講義中ずっとミルクの科学の話です。牛乳の成分、乳製品の製造工程、乳成分の栄養機能性など、ミルク好きにはたまらない話の連続でした。

 その最初の講義の冒頭で教授が、おそらくこんな話をしました。

 「食べることは、通常、植物なり動物なり生き物を頂くことで、いわば殺生です。しかし、たった一つだけ例外があります。それは、乳、ミルクです。ミルクは、母牛が子牛のために作る“食品”です。つまり、ミルクは、世の中に存在する唯一の食べ物なのです。」

 そのオープニングトークで私の心はぐぐっとキャッチされました。また、その時から、ちょっと牛乳を見る目も変わった気がします。

 子牛が飲むものを人間は横から頂戴しているわけですが、子牛が飲む分のミルクを無理やり奪い取っているわけではではありません。品種改良によって、子牛が飲みきれないほど牛乳を生産する牛を、人は長い時間をかけて選抜してきた歴史があります。たくさんミルクを出す牛の“有り余る”ミルクを頂いているわけです。

 牛乳をたくさん出してくれる牛の一つの品種が、いわゆる牛柄のホルスタイン種とよばれる牛です。ご出身は、オランダです。

絞りたのて牛乳の味って、

 私の母親の実家は、代々の酪農家です。母の両親が始め、母の兄夫婦、その子供夫婦に引き継がれてきました。私からすると、祖父母、叔父叔母、いとこ夫婦です。約半世紀にわたり、牛乳を市場に提供してきました。

 母の実家から私の家も近かったので、よくしぼりたての牛乳をもらってはおいしく飲んでいました。その味は、牛乳なのに牛乳っぽくない味でした。例えるなら「水っぽい牛乳」です。

 いわゆる子供が嫌いな「牛乳臭」は、生の牛乳(原乳)がもともと持っている香りではなく、加熱殺菌によって生じるものです。加熱時間が短く、加熱温度が低い牛乳ほど、いわゆる牛乳っぽい特有の臭さはなく、“さらっと”しているというのが、私の「リアルな牛乳の味」です。

ミルクは工場でできるんじゃない、現場(牛)でできるんだ!

 スーパーなどで紙パックに入っている牛乳が並んでいると、どこか大きな工場で作っているような錯覚にとらわれてしまうのではないでしょうか。当たり前ですが、牛乳は工場からできるものではありません。牛という生き物から生み出されます。

 また、メスの牛であれば、どの牛もミルクを出すわけでもありません。妊娠して、子供を産んで初めてお乳を出します。牛も人間と一緒です。

 牛は生まれてから、妊娠できる大人になるまで約14ヶ月、妊娠して出産するまで10ヶ月かかります。何もないところから、1杯の牛乳を飲むためには最低でも2年という長い歳月が必要です。

 酪農家は、牛乳を出荷してはじめてお金を得ることができるという職業です。メス牛が“稼ぎ出す”には、2年以上かかるということです。

日本人はお米よりもミルクを食べている

 ミルクは、牛乳として飲まれているだけではなく、ヨーグルト、チーズ、バター、ヤクルトなどの乳酸菌飲料などの乳製品や、ケーキやパンなどの原材料などに幅広く使われています。

 ですから、牛乳がなければ、アイスクリームもショートケーキもシチューもグラタンも食べることができません。また、これにミルクが入っているの?というくらいいろいろな食品や料理の味やコクに貢献しています。

 「牛乳がなくても、豆乳でいいじゃん」という方はきっと少数でしょう。豆乳だとフルーチェはかたまりませんし。

 日本の牛乳・乳製品の年間消費量はだいたい1,131万トン、それに対して、米の消費量は888万トンです。

 日本人は、実は主食の米の1.3倍も多く、ミルクを飲んだり食べたりしています。

ミルクに放射性物質は蓄積しやすいのか

 原発事故によって、はじめに牛乳とほうれん草に暫定規制値を越える放射性物質が検出され、牛乳は、放射性物質が“溜まりやすい”食べ物かと思った方も多いのではないでしょうか。

 放射性物質であるヨウ素セシウムなどの元素は、飼料や水を介して牛に取り込まれれば、放射性ではない安定な元素や他のミネラルと同様に代謝されます。

 一般にミネラル等の乳への移行は、生体にバリアー機能が存在するので、極端にある元素だけが高濃度に蓄積することはないでしょう。ミルクは、赤ちゃん子牛用のご飯なので、大きな成分変化は起きないように厳密にコントロールされています。

 乳に移行した放射性元素は、放射性元素ではない安定同位体の元素の代わりに移行しただけであって、放射性元素を集中的に“集めた”わけではないでしょう。

 ただ、食べ物によって、もともとのミネラルの含有量は違います。

 例えば、食品中にヨウ素含有量は次の通りです(糸川嘉則著 最新ミネラル栄養学より)。

食品名 ヨウ素含有量 μg/100g
昆布 130,000
わかめ 7,800
のり 6,000
寒天 1,400
いわし 268
さば 247
かつお 198
マーガリン 85
大豆 79
ごま 58
卵黄 48
白米 39
たい 36
豚肉 18
食パン 17
玉ねぎ 8
母乳 7
牛乳 6
だいこん 1

 ヨウ素に関しては、牛乳よりも昆布やわかめなどの海藻類に多く含まれており、実際に日本人はヨウ素の75%以上を海藻などから摂取しています(糸川嘉則著 最新ミネラル栄養学より)。

 セシウムは必須元素ではないでしょうから、食品中の含有量やその生体内代謝は、まだ十分にわからないところが多いのではないでしょうか。

 牛乳の放射性物質の暫定基準値が、なぜ野菜などと比べて低く厳しいのでしょうか。

 それは、日本人が牛乳をたくさん食べるからです。

 食品中の放射性物質の危険度は、「その含有量×食べる量」で決まります。成長期の子供にとって、牛乳や乳製品は、抜群の栄養があり、そして優れた栄養価のわりには安く極めて経済的な食品です。ですから、放射性物質により敏感な子供達の基準値は、さらに低めに設定されています。

 ミルクは、それだけ子供達にとって不可欠な食品だと言えます。

 市場に出回る食品の放射性物質は厳密に検査しなければなりませんが、基準値を下回っていれば、何の心配もいらないというのが私のスタンスです。

 そのためには、全ての情報を包み隠さず開示することが極めて大切です。また、消費者がその情報を元に、自分の頭で考えて商品を購入する能力が今強く求められています。

1000年後、私たちの子孫はミルクを飲んでいるか

 科学者は夢みる職業だといわれます。

 その夢は、数年先に実現するようなものではなく、50年後、100年後に芽が出るようなものを設定しなければいけないとよく先輩研究者にいわれたものです。自分が生きているうちに実現するような夢は、夢なんかじゃないんだよと。

 しかし、今回の大震災が、1000年に一度クラスだと聞くと、科学者は数十年、数百年先といった縮尺ではなく、もっと先の1000年先を見通す必要があるのではないかと感じ始めています。今私は、目の前の生活でいっぱいいっぱいですが。

 前述した母親の実家の酪農家の家は、原発事故による出荷規制の真っただ中にある福島の中通りにあります。

 今いとこが、どのような気持ちで大切に育ててきた牛からしぼった牛乳を捨てているのか、また、いとこには双子の女の子達を含む4人のキッズがいますが、自分の子供に自分でしぼった牛乳を飲ませることができないその心痛は、私が容易に言葉にできるようなものではありません。

 1000年後、この地球に日本という国があるかどうかわかりませんが、人間と牛が共存していたら、きっと人は紀元前に書かれた壁画の絵と同じように牛からミルクを絞ってそれを頂いているでしょう。

 ミルクは栄養があって、身体にいいだけでなく、何だかんだいって「すごくおいしい」のです。

 その時、捨てずにごくごくと飲めるミルクであって欲しいと思います。

乳学の書籍

 最後に乳に関する書籍を二冊紹介します。

 一冊目は、私も何冊も持っている寄藤文平さんとチーム・ミルクジャパンがタッグを組んだ「ミルク世紀」という本です。

 タイトルは、親父ギャグでしょうか。寄藤さんらしい「ゆる細かい」感じが、同い年の私には染みます。

ミルク世紀 ミルクによる ミルクのための ミルクの本

ミルク世紀 ミルクによる ミルクのための ミルクの本

 もうひとつは、朝倉書店の専門書「乳の科学」です。かなりディープなミルクを堪能できます。

乳の科学 (シリーズ「食品の科学」)

乳の科学 (シリーズ「食品の科学」)

 今は、新入学シーズン。この時期に、“乳学”に“入学”してみたらいかがでしょうか。

 言いたくなかったのですが、最後に我慢できず、親父ギャグで締めてしまいました…。