夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

理性や理屈だけでご飯が食べられるか?

 この記事に、コメント、☆やブックマークなどを付けて頂いた方、誠にありがとうございました。

 1年以上も前の記事に?という感は否めないですが、いろいろなご意見を大変興味深く拝見しました。

 「量」の概念については、きちんと粘り強く説明すれば、ほとんどの学生は理解してくれます。社会の多くの方々も、食のリスクとベネフィットの関係は分かってくださることと思います。

 しかしその一方で、「リスクとベネフィットといった理性や理屈だけで、はたして飯が食えるか?」という疑問を持っています。

 例えば、トイレの床に落ちた物を拾って食べたいと思うでしょうか?

 衛生的に問題がなくても、私は食べるのに躊躇します。

 いちおう研究者なので、食品中の微生物数や有害物質の量を測って、食べても問題ないものなのかどうかは科学的に判断できます。しかし、「トレイの床に落ちたものが安全だというのなら、食べなさいよ」といわれれば、安全だと頭では分かっていても、体や心が拒否する場合は当然あるわけです。

 これが、よくいわれる「食の安全」と「食の安心」の問題です。

 食の安全は科学的に証明できますが、実際にそれを安心ととらえるかどうかは最後個人個人の判断です。

 遺伝子組換え食品、クローン食品、捕鯨問題などの食の問題は、だいたいこの食の理性と感情の問題に行き着きます。

 食の問題には、まず理性的に対応しなければなりませんが、科学的に測定できない食文化や個人個人の食への思いがその背景にあるということを、研究者も行政も生産者も、そして消費者ひとりひとりがよく認識しておかなければいけないことでしょう。

 食は、とっても幅広い学問です。