夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

イチローの”朝カレー伝説崩壊”と読んではいけない”行間”

 だいぶ落ち着いたようなので、この話題↓に触れようと思います。

【MLB】イチロー“朝カレー伝説”崩壊! 実はそうめんを食べていた! - MSN産経ニュース


 カレー業界激震!? 11日に発売されたスポーツ総合誌「スポルティーバ」(集英社)が、米大リーグ、マリナーズ・イチロー外野手(37)の衝撃的な(?)インタビューを掲載している。
 2001年のメジャー移籍後、元TBSアナウンサーの弓子夫人(44)の手作りカレーを毎朝食べ続けているとされていたイチロー。実際これまで、イチローの私生活を追ったテレビの特集番組などでも朝カレーを食べているシーンが紹介され、「イチローといえば朝カレー」というイメージが定着していた。
 ところが、インタビューでイチローは「実はもう、カレー食べてないですよ。今年のシーズン中、一度も食べてない」と3年前から朝カレーを食べていないことを告白。今年はカレーの代わりに毎朝、「食パンとそうめん」を食べていたという。
 この発言はさまざまな方面にちょっとした波紋を呼びそうだ。何しろ、プロ入り以来、20年近くも大きな故障もなく体調を維持し、今季はメジャー新の10年連続200安打を達成したイチロー。天才アスリートの定番の朝食がカレーと伝えられたことで、野球少年はもちろん、受験生からサラリーマンに至るまで空前の「朝カレーブーム」が起きた。

(以下略)

 何となく、私たちは「イチローの偉大な記録の源 → 弓子夫人が作る毎日の朝カレー」という図式を抱いていたと思います。これが、はじめからイチローが毎朝「食パンとそうめん」であったら、きっと「朝カレーブーム」のような「朝食パンブーム」(普通すぎですね)や「朝そうめんブーム」(力がでなさそう)は起きなかったでしょう。カレーだったからこそ、ブームになったといえます。

 その朝カレーブームとなった背景には、「カレーは、朝にいいのでは」という何となく理にかなっていそうな雰囲気を多くの人が感じ取ったからに違いありません。香辛料が脳細胞を活性化して、朝の目覚めをスッキリしてくれそうです。

 実際、カレーが天才アスリートの競技記録向上に役立っているという科学的データはおそらくないでしょうが、例えあったとしても、多くの人は、細かい分析データを見るよりも、「スター選手が食べているからきっといいはず」と直感的に思うことでしょう。

 このあたりに、ニセ科学の危険性を感じます。

 健康食品でも「個人の体験」を書いているものが非常によくあります。かならず「これは、あくまで個人の体験です」とわざわざ説明書きを入れているのは、「科学的な証拠はありません」と暗に言っているようなものです。

 著名な有名人が「この食べ物でやせました」とか「これでガンが治りました」とか言うと、その人への親しみが強い人ほどその情報を鵜呑みにしてしまうことが多いでしょう。

 イチローが「10年連続200本安打は朝カレーのおかげ」とは一言も言っていないでしょうが、多くの人が何となく「ちょっとはカレーのおかげかな」と感じる”下地”を持っているのだと思います。

 健康食品のキャッチコピーなどは、この点が絶妙かつ巧妙で、薬事法に触れないぎりぎりの文章を作っています。

 たとえば、「燃焼系飲料 yaserundes」という商品名の製品があったとします。「やせる」とも「体脂肪の燃焼を促す」とも書いていなくても、消費者は痩身効果があるのではないかと感じてしまうでしょう。書いていない”行間”を私たちは勝手に読んでしまう生き物です。

 朝カレー伝説もそんな”行間”を読んでしまった一例に私は感じます。

 また、イチロー同様、将棋界の天才である、棋士羽生善治さんの毎朝食べるものなどがTVなどで紹介されれば、おそらくその食事も爆発的に流行ることでしょう。「頭がよくなる朝食」として、受験生や社会人に大いに持ち上げられるはずです。

 ポジティブに考えれば、イチローの朝カレー伝説崩壊が話題になるのは、朝御飯の大切さを多くの人が感じており、また、天才を支えているのはやっぱり食事であるということの裏返しであるのでしょう。

 しかし、食事が大切なのは言うまでもありませんが、イチローイチローであり、羽生さんが羽生さんなのは、食事ではなくそのたゆまぬ努力のおかげです。

 イチローに憧れて食事も真似したいという気持ちは分からないわけではありませんが、影での相当な努力も含めて真似することなく、真似しやすい食事だけ真似するのであれば、「それはなんか、違うっしょ」と今回のニュースをみて思った訳です。