夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

”低残留農薬”の農産物はより安全?


 ある方から電話で以下のような相談をされました。

 「作っている農産物の残留農薬を測ってもらえないか。おそらく少ないはずだから、”低残留農薬”ということをPRして、その農産物の販売を伸ばしたい」というような趣旨でした。

 いろいろ突っ込みたくなる衝動に襲われましたが、「測定ができるか、できないか」というご質問だったので、「できないことはないですが、今まで農産物中の農薬の分析はやったことはありませんよ」とお答えしたら、「あ、そうですか」といって別の話題へと変わっていきました。

 残留農薬のようなリスク分析の話は、決して電話口でわかってもらえるようなシロモノではなく、高い壁があることをこれまでの経験で痛いほど知っています*1。しかし、わかってもらえなくても、科学者として説明しなければならなかったのではないかと電話を切ってから思いました。

 「基準値以下の残留農薬の量を比較しても、意味ないですよ」と。

 また、以前にも同じようなことをおっしゃる方をお見かけしたことがあります。

 「この牛肉中に含まれるカドミウムは、他の肉より少ないから、より安全だ(どちらも基準値以下)」。

 残留農薬の基準値であったり、食品や飲料水の有害物質の基準値というのは、その値の何十倍も超える量を長期間摂取しても私たちの健康に問題のないような値に設定されています。ですから、基準値以下の”微差”のリスクの違いは、全く取るに足りないものです。

 例えるなら「親子4人暮らしの家庭で、食費を一ヶ月40,000円以内に抑えようとしていた場合、食費の合計が39,999円の月と、39,998円の月を比較しているようなもの」でしょうか。分かりにくい例でゴメンなさい。

 リスク分析(リスクアナリシス)は、「科学的なリスク評価(リスクアセスメント)だけでなく、政策ベースのリスク管理(リスクマネジメント)と、それらを包括する情報交換やチェックリストとしてのリスクコミュニケーションが一体として有効に働く枠組みを構築すること」とされています。

 生産者、消費者、行政機関、科学者が交わらなければいけないのがリスクコミュニケーションですが、日本人全体のリスク・リテラシーの低さを感じると、食のリスクコミュニケーションの壁がやたら巨大に見えて仕方ありません。

*1:[http://d.hatena.ne.jp/yashoku/20090529/p1:title=「皆さんが食べているトマトには毒が入っています」] - 食品研究者の夜食日記