夜食日記

分子調理学者。料理・調理のメカニズムを研究する大学教授。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)など。分子料理・分子調理ラボ(http://molecular-cooking-lab.net)を主宰。関心は「食×科学×芸術」。

手の味、箸の味、スプーンの味

 急きょ引っ越すことになりました。今日、新居の契約を済ませて、月末の本格的な引っ越しの前に電気、ガス、水道のライフラインを開始しました。 新居に寝袋を持ち込み、今晩は何もない部屋で“宿直”です。

 夕方、近くのスーパーでかつ丼とお茶を買い、新居に持ち帰り食べようと思った瞬間、「箸がない」ことに気付きました。また箸だけもらいに行くのも疲れていて面倒だったので、悩んだあげく「手で食べる」ことにしました。鮨は手で食べるのだから、かつ丼も手で食べていいだろうと自分に言い聞かせて。

 手で食べるかつ丼。最初はマナー違反しているようで(確実にしているんでしょうが…)罪悪感を感じていたのですが、だんだん野生の本能的な感情が湧いて来ました。結論をいうと、実においしかったのです。

 以前、カナダのトロントでチュニジアかエチオピアのアフリカ料理を食べたことを思い出しました。食べた中身は何も思い出せないのですが、手で食べたことだけが印象に残っています。そして手で食べることは文明が遅れているという訳ではなく、手の感触も“味覚”の一部だということに気が付かされました。

 手だけでなく、例えば、お茶漬けはスプーンで食べるよりも箸で食べた方がおいしいですし、熱い鉄板の上で焼かれたハンバーグは箸で食べるよりもナイフとフォークで食べた方が食事の満足度が高くなるような気がします。

 食事に使う道具には、私達の食習慣によって刻まれたそれぞれ独自の“味”を持っているのでしょう。