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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

分子料理の”父”と”式”

分子料理・分子調理 分子ガストロノミー・分子美食学

 私が「分子料理」という言葉を初めて目にしたのは、学術的な雑誌ではなく、一般紙「BRUTUS(ブルータス)」2005年5月号の特集でした。その時の表紙がこれです。

 表紙には「21世紀料理教室!」の赤い文字。左下には、「エルヴィ・ティスの分子料理法」、「ダニエル・ガルシアの液体窒素料理法」、「コノ・フミコのセレブ御用達メニュー」の字が並んでいます。ブルータスは昔から目のつけどころがいい雑誌ですね。

 特集のはじめの見開きページがまたかっこいい。「21st CENTURY COOKING」のタイトル。

右下の写真の説明書きには「液体窒素の海で動くマンゴーはいかが?」の文字。

 特集の中で一番面白かったのが、「エルヴィ・ティス教授の分子料理法」という記事。

 フランス国立科学研究所の物理化学者エルヴィ・ティス教授らが造ったとされる“分子料理法”(正確には“分子ガストロノミー Molecular Gastronomy”)。その分子料理法のスタートは、レシピの検証と科学的実験でした。
 生物学でも分類学がサイエンスの基本であるように、ティス教授はまずフランスで重要とされる歴代の料理本を読み砕き、その中身を分類することからはじめたそうです。伝統的なソース350種類を教授自ら一つずつ作ってみては顕微鏡で分子構造を調べ、23のカテゴリーに分類したとのこと。

 さらに面白いのは、「あらゆる料理は物理化学の“式”で表せることがわかったんだよ。“式”はふたつの要素からなる」と豪語する教授。

要素その1(食材の状態)

  • G(ガス):気体
  • W(ウォーター):液体
  • O(オイル):油脂
  • S(ソリッド):固体

要素その2(分子活動の状態)

  • /:分散
  • +:併存
  • ⊃:包合、結合
  • σ:重層

 このふたつの要素を組み合わせることで、あらゆる素材や料理の成り立ちが説明できると言っています。

 例えば、泡立てる前の生クリームは、「水の中に油脂が散らばっている」状態。式だと
O/W
(油脂 分散 水分)
 「生クリームを泡立てる」という調理法は、油脂に空気を含ませるから、油脂(O)に空気を加え(+)、その空気を含んだ油脂が水の中に散らばっている(/)状態。「式」でいうと、
(O+G)/W
(油脂 加える 空気 分散 水分)

 油脂を表すOのところを、油脂分を含むチーズやフォアグラに置き換えたら、どうなるか。理論的にはホイップチーズやホイップフォアグラが作れるはずである。さらに、油脂を含まない食材、例えばトマトをジュースにしてオイルを加えれば、ホイップトマトも夢じゃない。「分子料理法」の「式」を使えば、素材の特性に縛られることなく、どんな素材に対しても、思い通りの軽さやふわふわ感を与えることができるってわけだ。
「今ある料理を“式”で表し、ホイップクリームの要領で置き換えていったら……。応用は限りなく広がっていく。どうだい、料理が創造力あふれる知的ゲームに見えてくるだろう」

 この食材ではこの料理だというわれわれの先入観が、新しい料理の発明を邪魔しているのかもしれません。その点、「分子料理法」の「式」であれば、物理化学的な特徴だけを考えて、いろいろな食材を式に当てはめるだけで、思いもよらなかった料理が生まれる可能性があります。

 この「分子料理法」の流れをまとめると、

  • これまでの料理を分子レベルで観察して「分類」する
  • その料理を「式」で表す
  • その「式」を使って、他の食材などで置き換え、新しい料理を発明する

ということでしょうか。

 ちなみに、ブルータスの表紙にある「エルヴィ・ティスの卵 白い赤ワインソース」の「式」次のようになります。

 私は思わず、ラーメンやカレーの「分子料理式」を考えてみたくなりました。

 私が大学と大学院の頃は、「生体物理化学研究室」という部屋に所属し、今は「食品科学研究室」の教員をしていますので、エルヴィ・ティス教授の料理を物理化学的に斬るという”分子料理”の研究は以前から興味を抱いていました。

 さらに、ずっと後になってから気づいたのですが、以前から私が愛読していた『フランス料理の「なぜ」に答える』という本の著者が、この分子ガストロノミーの父、ティス教授だったということを知りました。
フランス料理の「なぜ」に答える

 ティス教授は、科学の専門学術誌にもいろいろ分子ガストロノミーの総説を書いているので次はそれを紹介しましょう。