夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

食べ物も子供も「純」でいいのか?

 商品の売り文句として、「ピュア」「無添加」「まじりっけなし」という言葉をよく目や耳にします。なんとなく安全をイメージさせますが、どれも商品の「純粋さ」をアピールしています。

 日本料理は素材にできるだけ手を加えないことを良しとする「引き算」の料理法であるのに対し、フランス料理は様々な食材のうまみを合わせ凝縮したソースをベースとする「足し算」の料理法といわれます。あまり手を加えない日本料理は、素材そのものの「純粋さ」を最大限に生かすことで発展してきたといえるでしょう。

 「純粋さ」を求めるのは食材に限らず、最近は小説や映画でもいわゆる泣ける「純愛もの」が人気です。また、韓流のTVドラマが流行しましたが、その理由は多くの日本人が忘れてしまった「純粋さ」を韓流に見い出したからでしょう。

 逆にいえば、それだけ純なものが失われてしまったのが今の日本なのかもしれません。実際、相次ぐ食品偽装の報道や不倫の多さを見ると世の中汚濁だらけと感じ、その反動として「純」を渇望する気持ちが大きくなるのがまあ人の心情です。

 この日本人の純粋至上主義ともいえる、純粋さを強く求める心理の根底にあるのは何かと考えたとき、私は「性善説」なのではないと思いました。

 子供は純粋無垢な存在で、大人になるとだんだん汚れてくるという考える人がほとんどです。これが食材でも同様に、加工せずに新鮮な生で食べるのが一番という「生食文化」と、人は生まれつきは善という「性善説」がなんとなくリンクしているように私には感じられるのです。

 前のブログでも書きましたが、今の大学生の言動を見ると教員や親の言うことをやたら素直にきく子が多いなと感じます*1。親の「子供はいつになっても純粋であってほしい」という願望を素直に実行している(演じている)かのようです。

 親や教師、政治家などの大人を信頼してくれるのはありがたいですし、大人にとってはとても都合がいいことですが、もう少し大人を疑い「俺たちを食いものにしようとしているのではないか」というぐらいの不審の目を向けて厳しくチェックしたり反発したりしてもよいのではないでしょうか。

 現実、社会では「純」だけでは”食えない”のです。

 こういう言い方をしては語弊があるかもしれませんが、教育とは「食べられないもしくは食べにくい食材を加工・調理して、食べられる美味しい料理にすること」ではないかと思います。ある意味、学校がレストラン、先生はシェフなのではないかと。

 どんなすばらしい食材でも、そのまま食卓の上ることはまれです。私たちが食べているもののほんんどに何らかの手が加えられています。調理されていないように見えるスティックサラダにしても、皮をむいたり切ったりという「調理」の行程を経ています。

 もちろんフルーツのように加工しないでそのまま食べられるもの(社会に出られる人)もあるでしょうが、大豆のように生で食べると腹を壊すものの方がはるかに多いでしょう。しかし、大豆もうまく加工して豆腐や納豆のようにすれば、美味しい栄養ある食べ物となります。

 教育はうまくその人を”調理”してあげることがとても大切で、調理人はもちろん素材の良さ(その人の個性)は最大限に引き立てる加工・調理法をとらなければなりません。

 美味しいワインは、ただぶどうを絞ってビンにつめれば出来るという訳ではなく、腐敗しないように亜硫酸塩という添加物を入れて、適切な温度と湿度下で発酵されてはじめて完成します。何かと悪者にされる食品添加物ですが、加工食品にそれらを添加することで、多くの人が安全で美味しい食品を安定的に入手できるのです。

 学生には、純粋さという魅力以外に、社会で腐らない程度の食品添加物という知恵や知識を身につけて欲しいものです。

 今年のブログはこれが最後です。皆様、良いお年を!

*1:食品研究者の夜食日記:[http://d.hatena.ne.jp/yashoku/20091221/p1:title=あふれる情報に振りまわされないためには]