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夜食日記

食品研究者が夜中に「食」についてつらつら綴る日記。専門は、分子レベルの「食品学」「調理学」「栄養学」。「クックパッド食みらい研究所」特別研究員。分子料理・分子調理ラボ(www.molecular-cooking-lab.net)を主宰しています。食ほど体と心に影響を及ぼすものはないと思いませんか。

オバマ大統領就任演説からみる食品安全対策

 二十日、オバマ大統領の就任演説が行われました。これまでの選挙戦で支持者を熱狂させてきたオバマ氏の演説ですが、200万人近くを集めた首都ワシントンD.C.での演説はこれまでとはトーンが違っていたようです。人々を興奮させていた「希望」「変革」というポジティブな言葉がほとんど消え失せ、「責任」「自己犠牲」という超現実的な言葉が並びました。

 今までのように、自分たちを酔わせてくれる“甘い”言葉をオバマ氏に期待していた支持者にとっては、「責任」「自己犠牲」というベクトルを突然向けられて、さぞや驚いたのではないでしょうか。それが、就任演説が今ひとつ盛り上がらなかった原因でしょう。

 振り返って我が国、ニッポン。日本の首相が、所信表明演説などでオバマ大統領と同じように責任や自己犠牲という言葉を国民に対して用いることができるかどうか?とふと考えてしましました、そして、その場合、国民は、それをどう受けとめることができるかどうか?とも。私はおそらく国民の大部分が、「は?」という顔で、責任という発言をスルーしてしまうのではないかと思っています。

 お任せ民主主義といわれる日本では、国民が何でも国に決めてもらおうという意識が強いといわれています。日米の国と国民の関係はそれぞれの国の親子関係になんとなく似ています。すなわち、小さいときから寝室を別にし、子供の自立を促進するアメリカでは、国民が国に依存心を持たないようになり(期待しないともいいますが)、一方、社会人になっても実家にパラサイトする日本人は、国民が国にべったりの関係ではなるというものです。

 アメリカ国民は国を恐れているというデータを以前何かで見ましたが、国と国民の関係は、アメリカの場合は厳格な父と息子という関係で、日本の場合は友達親子のような母親と娘の関係ではないでしょうか。

 さて、食の問題です。食の安全の問題においても日本人は、面倒臭いことは全部お上に決めてもらいたいという意識があるでしょう。賞味期限切れの食品を、自分の五感で確かめることもせず、記載してある日付だけを見て捨ててしまう人がいるのは、自分で責任を取りたくないということの裏返しのような気がします。

 昨日のブログのクローン牛やまたは遺伝子組換え食品もそうですが、食の安全は将来、最終的に消費者個人個人が判断して、そのリスク・ベネフィットを取る時代になっていくと思います。科学的な安全評価は国の仕事だとしても、どの商品を選ぶかは消費者が各自で「責任」を取る時代になっていくでしょう。

 「おまかせ」から「責任」への「チェンジ」がアメリカ国民だけでなく、私たち日本人にもこれまで以上に求められるのではないでしょうか。そのためには、私たちは食に対してもっと勉強していかなければならないでしょう。